
1. Life Logline:人生のログライン
王冠を被るために生まれ、他人の人生を生きることでしか呼吸ができなかった、20世紀最大の「虚構(フィクション)」
2. Scenario Chart:人生のシナリオ
Act 1 [発端]:牧師の息子、あるいは仮面の少年
1907年、英国サリー州。厳格な聖公会の牧師の息子として生を受けたローレンス・カー・オリヴィエは、幼少期から「演じること」を強要される環境にあった。説教壇に立つ父の劇的な身振りを模倣し、家庭内での平穏を保つために「良い子」を演じ続ける日々。 彼にとって「素の自分」とは、何の価値もない空虚な器だった。だからこそ、彼は他者になることに飢えた。17歳で演劇学校に入学したとき、彼は初めて自由を得たのではない。初めて「隠れる場所」を見つけたのだ。シェイクスピアの言葉を借りれば、世界は舞台であり、彼はそこで生きるための呼吸法を学んだ。
Act 2 [葛藤]:王座の孤独と、狂気のごとき愛
若くしてオールド・ヴィック・シアターのスターとなり、ハリウッドへ渡った彼は、『嵐が丘』のヒースクリフ役で世界的なセックスシンボルとなる。だが、彼の本質は映画スターの甘いマスクの下にはなかった。彼は常に舞台(ステージ)という戦場を求めていた。 そして、運命の女ヴィヴィアン・リーとの出会い。「ラリー&ヴィヴ」と呼ばれた二人は、世界で最も美しく、最も才能あるカップルとして崇められた。だが、その生活は地獄の業火に焼かれるようだった。ヴィヴィアンの精神疾患、互いの才能への激しい嫉妬、そして共依存。 彼は『ハムレット』でアカデミー賞を受賞し、名実ともに「演劇界の王」となったが、その王冠はあまりに重く、彼の精神と肉体を蝕んでいった。彼は成功すればするほど、完璧でなければならないという強迫観念に囚われていく。
Plot Twist [転換点]:怒れる若者たちへの回答
1950年代後半、演劇界に「怒れる若者たち(Angry Young Men)」の波が押し寄せる。古典的な格調高さを重んじるオリヴィエは、時代遅れの遺物として葬り去られようとしていた。 だが、彼はここで誰も予想しなかった賭けに出る。新進気鋭の劇作家ジョン・オズボーンの『エンターテイナー』(1960年映画化)への出演だ。彼が演じたのは、落ちぶれた三流芸人アーチー・ライス。かつての栄光にしがみつく惨めな男の姿は、オリヴィエ自身のパブリックイメージを破壊するものだった。 この役で彼は、古典の呪縛から解き放たれ、同時代の醜悪なリアリズムさえも飲み込む怪物へと進化した。同時期、ヴィヴィアンとの結婚生活は破綻。彼は古い自分を殺し、新たな伴侶ジョーン・プロウライトと共に、英国立劇場(ナショナル・シアター)の初代芸術監督として、演劇の未来を築く道を選んだ。
Act 3 [結末]:老いた獅子の咆哮
晩年の彼は、癌、血栓症、皮膚筋炎という満身創痍の病魔と戦いながらも、カメラの前に立ち続けた。もはや生活のため、あるいは生きている証を確認するためかのように、彼はどんな役でも引き受けた。 『マラソンマン』で見せた、背筋も凍る元ナチスの歯科医。その演技は、メソッド演技に傾倒する若手俳優たちを嘲笑うかのような、圧倒的な「技術(テクニック)」の勝利だった。 1989年、82歳で幕を下ろすまで、彼は演じることを止めなかった。死の床においても、彼はただの老人ではなく、最後まで「サー・ローレンス・オリヴィエ」という役を演じきったと言われている。彼にとって死とは、最後のカーテンコールに過ぎなかったのかもしれない。
3. Light & Shadow:光と影
On Screen [銀幕の顔]:変幻自在の技巧派(テクニシャン)
彼の武器は、徹底的に鍛え上げられた**「声」と、別人のように顔を変える「メイクアップ」**だ。付け鼻、カツラ、歯の詰め物。彼は外見から役に入り込み、計算し尽くされた身体表現で感情を増幅させる。その演技は「やりすぎ(Overacting)」と批判されることもあったが、スクリーンを支配する圧倒的なカリスマ性は、誰にも否定できなかった。
Off Screen [素顔]:空っぽのスーツ
「役を演じていない時の私は、まるで空っぽのスーツだ」。彼はしばしばそう漏らしたという。私生活での彼は、異常なまでの自信のなさと、同業者(特にラルフ・リチャードソンやジョン・ギールグッド)への激しいライバル心に苛まれていた。完璧主義者でありながら、常に「見破られること」を恐れる臆病な少年が、彼の内側には住んでいた。その恐怖をかき消すために、彼はより大きな声で、より派手なメイクで、虚構の鎧を分厚くしていったのだ。
4. Documentary Guide:必修3作
1. 『嵐が丘』(1939年)
- 文脈: 舞台俳優としてのプライドが邪魔をし、映画というメディアを軽蔑していた時期の作品。監督のウィリアム・ワイラーと激しく衝突しながらも、結果として「カメラの前で抑えて演じる」技術を叩き込まれた。
- 見どころ: 復讐に燃えるヒースクリフの、荒々しくも美しい野性味。まだ洗練されきっていない若き日のオリヴィエが放つ、危険な色気が凝縮されている。
2. 『ハムレット』(1948年)
- 文脈: 監督・主演・脚色の一人三役。映画的技法(ディープ・フォーカスや移動撮影)を駆使し、「シェイクスピアは映画にならない」というジンクスを打ち破った記念碑的作品。
- 見どころ: 金髪に染めた30代後半の彼が演じる「優柔不断な王子」。独白シーンにおけるカメラワークと、内面的な苦悩を吐露する静謐な演技は、映画演技の教科書となった。
3. 『マラソンマン』(1976年)
- 文脈: 晩年、病魔と戦いながら出演したサスペンス。主役のダスティン・ホフマンを完全に食ってしまうほどの怪演を見せ、アカデミー助演男優賞にノミネートされた。
- 見どころ: “Is it safe?(安全か?)”と繰り返しながら拷問を行うシーン。極限まで削ぎ落とされた静かな狂気は、派手なシェイクスピア俳優としての彼とは対極にある、凄みのあるリアリズムだ。
5. Iconic Moment:歴史に刻まれた瞬間
『マラソンマン』撮影現場における、伝説の忠告
メソッド演技の信奉者であった共演者ダスティン・ホフマンは、拷問を受けて衰弱した役作りをするために、三日間徹夜をして撮影現場に現れた。フラフラのホフマンを見たオリヴィエは、涼しい顔でこう言い放ったという。
“My dear boy, why don’t you just act? It’s so much easier.” (愛しい君、どうしてただ『芝居』をしないんだい? その方がずっと楽だよ)
【解説】 この言葉は、単なる皮肉ではない。「演技とは、自らの実体験や感情をすり減らして行うものではなく、高度な技術と想像力によって構築されるべき芸術である」という、オリヴィエの生涯を貫く哲学の宣言だ。 自分自身を空っぽにし、技術で他者になりきる彼にとって、身を削るメソッド演技は不必要な自傷行為に見えたのだろう。20世紀の演技論を二分する「憑依」対「技術」の対立が、一つのジョークに集約された瞬間である。
6. Re-Cast:現代の継承者
【ケネス・ブラナー】
答えはこれ以外にあり得ない。彼もまた、シェイクスピア俳優としての出自を持ち、映画監督として『ヘンリー五世』や『ハムレット』を撮り、ローレンス・オリヴィエの亡霊と戦い続けてきた男だ。 『マリリン 7日間の恋』(2011)でブラナーが実際にオリヴィエ役を演じた際、その神経質さと傲慢さ、そして隠しきれない脆さを見事に体現していた。オリヴィエが築いた「演劇と映画の融合」という巨大な橋を、今日において唯一、渡りきることのできる継承者である。